【読書録】勝田吉太郎『アナーキスト――ロシヤ革命の先駆』筑摩書房〈グリーンベルト・シリーズ85〉、1966年11月30日初版第1刷発行。

勝田吉太郎アナーキスト――ロシヤ革命の先駆』筑摩書房〈グリーンベルト・シリーズ85〉、1966年11月30日初版第1刷発行。

 

保守派の思想史家によるアナキズム史。ロシアを中心に、近代アナキズムの誕生からロシア革命後に、ライバルだったマルクス主義に敗れ、思想的活力を失うまでの様子を描き上げている。本書で際立つのは、アナキズム運動史の整理の上手さである。たとえば、バクーニンを始祖とする19世紀後半のアナキズム運動が一時は労働者階級の支持を得て強力な勢力を保ちながらも、ロシア革命後にその役割を共産主義マルクスレーニン主義)とファシズムの双方に奪われてしまったことを、以下のようにまとめている。

 

“ アナーキズムは一九世紀末から二〇世紀はじめにかけて、「アナルコ・サンジカリズム」という形で復活し、フランスを手はじめに各国の労働組合のなかへくい込んでかなり強固な足場を築くようになった。この運動を育成したのも、小ブルジョワ分子の没落とか、失業、物価騰貴とかいった資本主義機構がうみ出す慢性的な経済現象ではあったが、そのほかにもう一つ見逃しえない要因がある。すなわち、第二インタナショナルに所属した大半の社会主義者による改良主義的指導に対する革命的労働者たちの失望、幻滅、不満という特殊な歴史的要因がこれである。労働者たちのこうした失望感は、議会主義、民主主義、政党政治などに対する不信や無関心を醸成するであろう。そしてアナルコ・サンジカリストの運動は、アナーキズムから引き継いだ「非政治主義」の教説によって、これらの革命的労働者たちを自己の陣営へ惹きつけ、同時に彼らの政治不信の社会心理と欲求不満とを吸収し、表現したのであった。

 ところで、今日アナーキズムないしその思想的影響下に形成されたアナルコ・サンジカリズムは、ラテン系諸国の労働運動のなかにわずかに余命を保っているにすぎず、極左的な労働運(←14頁15頁→)動と革命思想とは、いたるところでマルクス・レーニン主義の圧倒的な影響下に立っている。バクーニンが今では死滅しつつある一革命宗派の聖徒伝にその名をとどめているにすぎないといった状況は、かつて彼の盛名がほとんどマルクスのそれを凌駕していたという事態を顧みると、奇異の感にうたれるほどであろう。その理由の一半は、工業化を完了した先進資本主義諸国において、かつてアナーキズムを醸成したような歴史的条件が今や消滅しつつあるという事情にある。しかしなおその他に、次のような理由も看過することはできまい。すなわち、アナルコ・サンジカリズムの反民主主義的・反議会主義的主張が、ソレリズム(引用者註:フランスの思想家ジョルジュ・ソレルの思想。『暴力論』が有名)の形でムッソリーニファシズムに利用された結果、二〇年代以降労働運動においてその権威を急速に失墜することになったことである、その上マルクス主義使徒たちの手でロシヤ革命が成功を収め、ソヴェト政権が樹立され、そして今日見られるような強大な社会主義国家へ発展していったという事実もまた、イデオロギーとしてのアナーキズムの衰亡に拍車をかけたであろう。なぜならば、一九世紀後半の労働運動と革命思想史上マルクス主義と覇を争ったバクーニンアナーキズムや後のアナルコ・サンジカリズムは、歴史的勝者としてのマルクス・レーニン主義者たちによって敗北者の印を押されるはめになったからである。それはちょうど、わが国で大正十年頃に頂点に達したいわゆる「アナ・ボル論争」(アナーキズムとボリシェヴィズムとの間の論争)が、ロシヤ革命の勝利とソヴェト政権の成立という歴史的事実の力によって、ボリシェヴィズム側の優勢裡に終ったのと同様である。”(本書14-15頁より引用)

 

 

要するに、第一次世界大戦までマルクス主義者の政党による「指導」や、議会主義に幻滅した労働者階級の社会思想だったアナキズムは、第一次世界大戦後により過激な反議会主義思想であるファシズム共産主義マルクスレーニン主義)が現実にイタリアやロシアで国家権力を手に入れた結果、その思想的な魅力を労働者階級の間から減じてしまったということなのだが、勝田吉太郎氏の説明は実にわかりやすい。氏が優れた思想史家であるからであろう。

 

本書はアナキズムの中でも、バクーニンの思想と、バクーニン影響下のロシアのアナキスト運動について多くを論じている。その中でも私が特に興味深いと感じた点について引用しつつ、述べることにする。

 

“ バクーニン無神論は、しかしマルクスのそれよりも一段と戦闘的であり、ここにはバクーニンの情熱的で狂信的な、マキシマリスト風なロシヤ人気質が反映している。マルクスは理智の人であり、彼にとって宗教批判は思想変革の問題であり、その前提として宗教という迷妄を一掃するような物質的条件の変革が先決問題であった。これに反してバクーニンは感情の人であり、その無神論は神の観念を虚偽であり、有害であるとして拒否するというよりは、むしろ神そのものに対する闘争であるといった印象を与えるであろう。実際、シューバルトやベルジャーエフのような精神史家は、西欧型無神論とロシヤ型無神論とを比較している。宗教に対する西欧の無神論者の態度は冷静であり、神に対する無関心によって動機づけられている。西欧文明は聖なる事物の世俗化という長い歴史の段階をへて無神論的となっていった。これに反してロシヤ精神史の特徴は、文化の世界や政治の世界においてもすべての現象が濃厚な宗教的色彩をおびていることにある。無神論でさえも、ロシヤ人の手中にあっては、宗教的情熱をおびた運動に化してしまう。彼らにとって無神論は精神的欠乏でなくして、逆に精神的確信であり、信じることを止めるのでなく、いわば無神論を信じ、この一種の信仰を狂信家特有の不寛容と熱中とをもって説教するのである。プルードンマルクス無神論と、他方バクーニンのそれとの間の差は、結局西欧精神とロシヤ精神との間の差に帰着するといえよう。” (本書36頁より引用)

 

この引用部なども、バクーニンの「神と国家」を読んだ後の、あの熱を保った爽やかな読後感を上手く説明してもらった印象がある。「無神論でさえも、ロシヤ人の手中にあっては、宗教的情熱をおびた運動に化してしまう。彼らにとって無神論は精神的欠乏でなくして、逆に精神的確信であり、信じることを止めるのでなく、いわば無神論を信じ、この一種の信仰を狂信家特有の不寛容と熱中とをもって説教するのである」というバクーニンをはじめとする19世紀のロシア人の無神論には、神を信じない人が信じる人に対して時折向ける、あのいやらしさを感じない。

 

“ 国家権力に関するバクーニンの批判は、原理上かつ実践上、ただ一つの帰結へと導くにすぎない。すなわち、「国家破壊の絶対的必要性」がこれである。アナーキストの通例として、彼も国家権力の支配暴力性の側面だけを前面に押し出し、他のあらゆる側面を捨象する。その結果、国家制度と結合する他の一切の問題は見失われてしまい、国家に対する態度としてはただ一つ、完全徹底的な反対あるのみとなってしまう。たんに君主国だけではない。最も民主的な普通選挙にもとづく共和国でさえ拒否されねばならない。プルードンは「普選は反動である」と断じた(引用者註:直接的にはプルードンの生まれたフランスにて、はじめて財産を問わず全ての男子に選挙権が認められた1848年4月の普通選挙にあって、左翼が王党派よりも200議席少ない、全体の1/9議席しか手に入れられなかったことを指している)。同じくバクーニンも、普選に依拠する共和国は、「それが全人民の意志を代表するという口実の下に各成員の意志と自由な運動とを自己の集団的権力の重圧をもって圧迫するならば、君主国よりもはるかに専制的となりうる」と批判する。”(本書41頁より引用)

 

私がバクーニンを総体として素晴らしいと思いつつも――特に普通選挙に依拠する民主主義国が時として君主国よりも遥かに専制的となりうることを19世紀後半にあって見抜いていた洞察力には舌を巻くものの――それでもなおバクーニンについて批判しなければならない点はここにある。バクーニンに限らず、アナキストは通例的に「国家権力の支配暴力性の側面だけを前面に押し出し、他のあらゆる側面を捨象する」ことが多いように思える。その結果、現在ネオリベラリズムから攻撃を受けている福祉国家による人々への医療や福祉といった社会保障や、ごく普通の人々を暴力的に支配する麻薬マフィアに対する治安維持といった側面も捨象されてしまう。バクーニンから受け継がなければならないのは、「国家権力の支配暴力性の側面」への反対である。この点に関しては帝国主義戦争への反対というその一点においても強力な現代性を有しているが、社会保障のような国家の肯定的な側面に対して徹底的な破壊を要請することは、この社会に生きるごく普通の人々にとって大きな損失だと私は考える。もちろん、バクーニンが生きていた時代に20世紀的な福祉国家はなかったのでそれは時代の限界であろうが、今日、アナキストが真に人々の間に生きる社会思想として復活するためには、この点への洞察が必要不可欠ではなかろうか。私が黒色社民/社民アナキストを名乗る所以でもある。

 

バクーニンは絶筆となった最晩年の著作『国家性とアナーキイ』(日本語訳タイトルは『国家制度とアナーキー』)にて、ライバルだったラッサールやマルクスといったドイツの社会主義者が語る人民国家について、このように批判している。

 

”「国家は、たとえそれが十回も人民国家と呼ばれようとも、またそれが最も民主主義的な形態をもって粉飾されようとも、プロレタリアートにとって必然的に牢獄となろう」(『国家性とアナーキイ』)。この確信が、彼を導いてマルクス国家社会主義イデオロギーをこう批判させるようになる。「あらゆる国家は」――とかれは同じ著書のなかで述べている――「マルクス氏によって考え出された似非人民国家といえども、人民自身よりもよりよく人民の真の利益を知っていると自称する有識の、したがってまた少数の、特権者による上から下への人民の支配以外のなにものでもないのだ」。”(本書43頁より引用)

 

このバクーニンの批判は正しい。最も良い福祉国家であっても、国家は定義上権力的な存在であるからして、そこに住む人々にとっては牢獄のように感じられるであろう。バクーニンと同じく私は国家が住む人々にとっては牢獄であることを認める。その上で、現実に国家権力を廃絶することはその肯定面を考えると困難であるとも考えている。だからこそ、ヘーゲルのように国家権力を理想視することなく、しかしバクーニンの時代には抽象的な問題であった現実のネオリベラリズムへの対抗や、キューバのような小国が外国の帝国主義に対抗するための機関としては、やはり国家に一定の意義があると考えている。だからこそ、バクーニンの死後、150年後の現在を生きるアナキストは、自らが現実に生きる国家権力に対して、どのような位置付けを与えなければならないかを答えるべきだと思う。もちろん、バクーニンと同様に国家権力を全否定するというのは、アナキストとしては全く正しいあり方だと私は思う。しかしながら、原理原則的なアナキストとして正しくあることと、現実の人々の生活からの要請との間には、時として一定の矛盾が生じることは意識した方が良いとも思う。そのような問題意識からすれば、バクーニンが否定したラッサールの社会民主主義国家社会主義から学ぶべき点があるのではないか。もちろん、ヘーゲル国家主義の流れを汲むラッサールが言うほどには国家は素晴らしいものではない。しかし、我々が当面は牢獄に生きなければならないのならば、牢獄の環境を良くすることは我々の課題の一つであろう。

 

また、本書で白眉なのは、19世紀後半のロシアのナロードニキ運動が、プルードンバクーニンの思想に依拠していたことを明らかにしている点である。ボルシェヴィキの指導者レーニンが『何をなすべきか?』(1902年)で示した前衛党理論が、ナロードニキの組織形態を継承したものであることは知られているが、この組織論がナロードニキ経由で実はアナーキズムの影響下にあったということは非常に興味深い。

 

“ ナロードニキは、バクーニンから国家権力の否定、政治闘争の否認、農民の本能的革命性への信頼――「どの農村でも即座に蜂起させうる」という固い信念――を受けとっていた。他方、彼らは、その経済綱領の構成にあたってプルードンの諸理念の影響下にあった。実際ナロードニキの社会・経済哲学は、その最初の哲学的基礎づけにあたったゲルツェンを介して、プルードン主義の諸理念の洗礼をうけていた。ゲルツェンは、その思想形成にあたって決定的な影響をヘーゲルプルードンという両思想家から蒙っていた。”(本書65頁より引用)

 

勝田吉太郎氏が本書21頁、41-42頁、48頁、187-190頁で強調するように、バクーニンの国家廃絶論はナロードニキ理論家トカチョフを通じてレーニンに継承され、その結果は『国家と革命』(1917年)に結実したが、私のような浅学菲才の者が読んでも、マルクスエンゲルスのレトリック上は革命的だが実質的には微温的な著作が、どのように過激で戦闘的なレーニンの叙述に繋がるのかがよくわからないという問題を、「レーニンに対するナロードニキ経由のアナキズムの影響」という回答によって示した点で、本書は素晴らしい思想史の作品となっている。私はレーニンナロードニキの影響を受けていたことについては知っていたけれども、ナロードニキアナーキズムの影響を受けていたことについては、恥ずかしながら本書を読むまで知らなかった。

 

以上が思想編となる。本書五章「一九〇五年革命とアナーキズム運動」(132-160頁)、第六章「一九一七年革命におけるアナーキズムとボリシェヴィズム」(161-211頁)、第七章「ロシヤ・アナーキズムの残照」(212-251頁)では、プルードンバクーニンの思想がナロードニキに結実した後に、アナキストとして独自の主張を持てなかったロシアのアナキズム運動が、クロポトキンの思想的影響下に『パンと自由』誌(1903年発刊)が発刊されたことにより再生し、そしてロシア革命後にロシアから消滅するまでを描いている。1905年頃から大別して1.無権力派‘ベズナチャーリツイ)、2.黒旗派(チェルノズナーメンツイ)、3.サンジカリスト派の三派に分かれたロシアのアナキズム運動だが、本書第五章ではロシアのアナキストが戦術として採用した強盗(彼らの用語では「収奪」)やテロリズムが、アナキスト達を国家権力の弾圧以前において、道徳的に解体させることになっていたことが論じられている。

 

 

“ アナーキストが積極的に手をかした収奪や没収行為は、他面では、彼らの道徳的腐敗をもたらすのに貢献した。ベロストクやエカチェリノスラフでも、略奪、没収、ゆすりなどの行為は単なる強盗のしわざとなんら変らないものに堕してしまい、果してどこまでがアナーキストの「革命的」行動であり、どこから強盗の犯行がはじまるのか、その境界線を引くことは事実上不可能になってしまったのである。バクーでは、無原則な収奪にコーカサスの地方色が加味され、身の代金を強奪する方途として子女誘拐の戦術まで編み出される始末であった。このような恥ずべき犯罪の一部は、警察のスパイや反動極右団体の挑発行為によるものではあった。しかしここでもまた、犯行のいずれの部分がアナーキストの手によってなされたものか、それとも挑発者の犯したものであるかを識別できない有様となった。アナーキズムの信用が、このような戦術の採用によってはなはだしく傷つけられたことはいうまでもないであろう。

 無原則な収奪やゆすりがどんなにアナーキスト自身の道徳的退廃をもたらしたかについて、「海つばめ」紙(一〇-一一合併号)は次のような報告を掲載している(引用者註:「海つばめ」紙はサンディカリスト派の一派の機関紙)。すなわち、オデッサの若干の同志たちは、「収奪」によって手に入れた巨額の金を遊興費に使用し、革命の事業を忘(←156頁157頁→)却して酒と女のため湯水のように大金を費消してしまった。こうして身をもちくずした同志の一人に対して、オデッサアナルコ・サンジカリストたちは死刑を宣告したという。シムフェロポリにおいては、アナーキストのグループが自己の同志二人を「グループの資金を私消」した廉で実際に殺害したのであった(同紙第八号)。

 アナーキストたちの運動には、崇高なまでに美しい理想主義的情熱や、わが身を犠牲にして革命の大義に殉じる勇敢な英雄主義を立証する幾多の例があった。しかしその反面、ロシヤ・アナーキズムは無節操な収奪、略奪、ゆすりなどの犯罪行為をくり返す過程で、政府の徹底的なアナーキスト狩りによって弱体化する以前に、はやくも道徳的に解体しはじめていたのである。

 「経済テロ」の戦術もまた、アナーキストたちを大衆から孤立させる結果へ導いた。なるほどストライキの途中で行使された「経済テロ」は資本家たちを畏怖させ、労働者たちの要求を貫徹する上に絶大な効果を発揮した。一般にこのような破壊主義的な闘争方式――経営者に対する物理的暴力や工場破壊など――は、発達程度が低く、原始的な水準にある労働運動においてはかなり大衆にアピールするであろう。アナーキストたちの煽動や宣伝活動が多少とも労働者大衆の間に実を結んだのは、このような意識の低い労働者層、ことに半手工業的労働者や未熟練労働者の間であった。ベロストクの労働者はその典型であり、そこでは長年にわたってポーランドユダヤマルクス主義グループ(ブント)の社会主義宣伝が続けられていたにもかか(←157頁158頁→)わらず、「経済テロ」や収奪によってアナーキストは瞬時に労働者の心を捕んだのである。

 しかし「経済テロ」の効験は、かげろうのように短命であった。テロのあと、踵を接するように容赦ない官憲の弾圧が続き、工場主はしばしば工場閉鎖をもってこれに報いた。職を失い街頭に投げ出された労働者たちは、昨日まで彼らの指導者と仰いでいたアナーキストたちを今日は恨むようになり、彼らをストライキ敗北の責任者と見なすようになったのである。こうして大衆から浮き上り、労働者から見はなされ、一般市民の同情を全く失ったアナーキストたちの頭上に、政府の弾圧は情容赦もなく浴びせられた。ワルシャワでは一九〇六年一月に、逮捕された一六人のアナーキストたちが裁判をうけることなしに処刑されたが、これと類似した地獄図は他の諸都市においてもくり返し見られたのである。”(本書156-158頁より引用)

 

といった具合である。一切の国家権力を廃する、というバクーニンの目標は、その戦術に強盗やテロリズムを採用したことにより、本来その目標に共感したかもしれないごく普通の人々からは受け入れられないような、アナキストの道徳的な退廃をもたらした。アナキストであっても、日常生活で現社会と接する限り、日常生活の常識や道徳からかけ離れたことを行えば、当然それは自らへの信頼の喪失として跳ね返ってくる。このことはアナキストを自任する者にとっては、今日も特に記憶しなければならないことであろう。

 

また、大雑把に三派に分裂したアナキスト同士の抗争、つまり内ゲバも存在した。本書151-152頁では、アナルコ・サンディカリスト派と、「黒旗派」が、同じアナキストなのにもかかわらず、お互いを不倶戴天の敵とし、1908年1月16日に「黒旗派」がサンディカリスト派の印刷所を襲撃し、印刷機を破壊した事件が報告されている。日本でも大杉栄の死後、昭和戦前の講座派、労農派双方の共産主義マルクスレーニン主義)勢力の前に、アナキストは「アナルコ・サンディカリズム」と「純正アナキズム」に分裂し、「リャク」と呼ばれるアナキストの銀行へのゆすり行為や、双方の抗争によって多くの人々がアナキズムに絶望し、共産主義に転向していったということがあるが、理論にこだわることで、本来自分たちに近い人々を近親憎悪的に憎み、暴力的な衝突に至ることは、何も共産主義者に限ったことではないのである。

 

本書第七章には、クロンシュタット叛乱やウクライナのマフノ運動など、アナキストによる反レーニン運動がトロツキーやトゥハチェフスキーによって残忍に弾圧される様子が描かれている。既にこの記事(「トゥハチェフスキー粛清事件に見られる民衆のスターリン支持について――クロンシュタット叛乱を偲ぶ」https://bemyuh.hatenablog.com/entry/2020/09/13/195106)で述べたので詳述はしないが、レーニントロツキースターリンとは異なると考えている人は、ぜひ本書第七章を読んで欲しい。

 

以上が本書にて私が興味を持った部分だったが、最後に、勝田吉太郎氏と共に、アナキズムの将来について考えることにしたい。勝田吉太郎氏は、アナキズムが20世紀半ばに元来の支持層であった農民、手工業者、労働者が資本主義の進展によってその基盤を掘り崩され、また、アナキズムに求めていたものを共産主義に求めるに至って衰退した後に、なおアナキズムを支持する人々として、以下のような人々を挙げている。

 

“ もともと一切の支配権力を嫌い、画一化に反撥して自由を愛好する個性とは、ボヘミアン的自由職業人のものであろう。アナーキスト的自由のパトスは、彼らのわがままな気質性向にぴったり適合している。その上、自由とは元来貴族主義的な価値にほかならない。近代アナーキズムの思想発展に絶大な影響力を及ぼした三人の代表的理論家――バクーニンクロポトキンおよびトルストイ――はいずれもみな、まさにこうした個性の持主であり、典型的な貴族出身のコスモポリタンなデクラセ・インテリであった。実際ロシヤのみならず、各国のアナーキズム運動における群小指導者の座は、意外と多く貴族出身のデクラセ・インテリによって占められているのだ。これらの《自由人》たちは、ブルジョワ社会のいたるところに跳梁する矮小卑賤な俗物根性と醜悪低劣なコマーシャリズムとに反撥する一方、社会主義の中央集権国家や「プロレタリアートの独裁」権力のうちに隷従と強制と偽善の体制を見出すであろう。彼らはまた、現代の大衆文明の組織され、規格化された画一主義の環境のなかで自由の精神が今や窒息しつつあると感じるであろう。おそらくは次のように結論しても、間違いあるまい。すなわち、も(←16頁17頁→)しも今日の先進資本主義国のどこかにおいて細々とながらもアナーキストの知的伝統が保存されているとすれば、それは幻滅した元マルクス主義知識人をはじめ一部の詩人、芸術家、文筆家、学者といった不羈奔放な《精神の貴族》――むろんマス・メディヤの傭兵となって「世論の形成者」と自称しつつ、その実、世論におもねるジャーナリスト化した学者や文筆家、また読者大衆の嗜好を体してせっせと大量生産にはげむ文士の類は、この限りではない――の許においてであると。”(本書16-17頁より引用)

 

私自身はマルクス主義からの転向組のホワイトカラーの草莽に過ぎないし、《精神の貴族》と自称するには程遠いところに生きているが、にもかかわらず、現代の高度に発展し官僚化した社会や、そのような社会を是とする社会思想からの知的な自由を求める人間類型というのものに私も当てはまると思うし、これは20世紀半ば以後のアナキストの一つの類型なのだろう。ただ、アナキズムに知識人の社会思想として終わって欲しくはなく、特に政治にも社会思想にも興味のないごくごく普通の人々の中に生きる思想であって欲しいという願いが、私にはある。その方途については現状の私には思いもよらないが、恐らく、以下の引用部のような問題意識を解決した先にそれはあるのではないか。勝田吉太郎氏は上述のロシアのアナキズム運動が、道徳的退廃により自己解体していたことを論じる際に、以下のように述べている。

 

“ 自由民主主義といい、マルクス・レーニン主義といい、あるいは無政府主義といい、「哲学者王」が統治するプラトン的国家といい、それらはすべてみな、それぞれの仕方で美しい理想目標を謳っている。これらの理念が完全な姿でこの世に実現を見た暁には、その理想社会は光り輝くものとなり、その名称の異なるほどに異なるものではないであろう。しかしながら、政(←153頁154頁→)治イデオロギーの真の差異は、どのような方法、手段によってそれぞれの理想を達成しようと努め、自己の目標を実現しようとするかにある。重要なことは、どのような途をたどって理想の国へ接近しようとするかでなければならない。究極目標だけを眺め、それを達成する手段に目をつぶることは許されないであろう。一たび採択された手段が、結局は「究極目標」の実体を条件づけるからである。二〇世紀初頭におけるロシヤ・アナーキズムの運動史は、こうした政治イデオロギー弁証法の作用をこの上なく明瞭に知らせている。”(本書153-154頁より引用)

 

これまでのアナキズムの歴史にはテロや強盗や内ゲバなど、市井の人々が自らの夢や希望を託すには難点となる要素が多すぎた。私はそれら全てを否定するわけではなく、ある特殊な場合にはそのような手段しか採用し得ないという場合も存在したのだろう。しかし、にもかかわらず、やはりこの点については批判的に振り返らねばならないと思う。それは、リベラル思想にもマルクス主義にも飽き足らない人々の現状変革の思想として、アナキズムが再生するための必要条件であろう。

 

保守派の思想史家である勝田吉太郎氏がアナキズムに託した願いを振り返ることで本稿を終えよう。このプルードンマルクスに返した言葉は、今日も有効性を失っていない。

 

“ 他面、幻滅の時代を生きるわれわれに対してアナーキストが訴えるのは、われわれが自分自身の未来のヴィジョンを構成する上でもう一度真に自由な探究者的精神をよび戻すことの重要性であろう。この点で、一八四六年五月五日に「思想の交換と非党派的批判」を求めたマルクスの手紙にプルードンが送った有名な返答を、今われわれはもう一度想起する必要があると思われる。「お望みなら一緒に社会の法則やそれが実現される仕方を研究しましょう」――と彼は書いている――「しかし私たちがこれらアプリオリ独断論を一掃した後、今度は私たちが人々を教義のなかでもつれさせることがぜひともないようにしましょう。カトリック神学を転覆した直後、破門と呪詛の大騒ぎのなかで早速自分のプロテスタント神学にとりかかったお国のマルティン・ルターの矛盾に陥らないようにしましょう。……私たちが運動の先陣に立つからとて、新しい不寛容のリーダーとなったり、たとえ論理の宗教、理性の宗教であるとしても、新宗教使徒のように振舞うことなどないようにいたしましょう。」”(本書18頁より引用)