【読書録】韓国アナキストの伝記から見える現代韓国の日本観:国民文化研究所、草場里見訳『韓国独立運動家鴎波白貞基――あるアナーキストの生涯』明石書店、2014年1月31日初版第1刷発行。

日本統治時代の韓国のアナキスト、白貞基の伝記。無国家の社会を目指すアナキストを、植民地支配からの国民国家の独立を目指す「独立運動家」と呼ぶのは正しくない気もするが、刊行した韓国の国民文化研究所は金九らと並ぶ大韓民国の独立指導者の一人と認識している模様である。本訳書では割愛されているが、韓国語の原書(2004年6月5日刊行)では、伝記に入る前に国民文化研究所の李文昌前会長による100頁にも及ぶ「アナーキズムとは何か?」というアナキズム史の概説が、第一部として掲載されているとのことであり(5頁、341頁)、「国民」(nation)を名乗る施設が熱心にアナキストを自国の独立運動家として讃えるというそのこと自体が、韓国に於けるアナキズムの立場を想像させてくれて興味深い。尤も、私自身はこのような民族アナキズム(national anarchism)には必ずしも反対ではない。「日本」のアナキスト大杉栄、「台湾」のアナキスト王詩琅、「韓国」のアナキスト「白貞基」、「ウクライナ」のアナキスト、ネストル・マフノ、「ウルグアイ」のアナキストホセ・ムヒカといった具合に、「日本」、「台湾」、「韓国」、「ウクライナ」、「ウルグアイ」といった民族(nation)を抜きに、アナキズムを考えることは困難極まりないからである。世界各国のアナキストの行動や思想には、出身国の民族性が色濃く反映されており、民族性を抜きにした思想の化け物としてアナキストを捉えるのは不可能である。究極的な目標として無政府の世を目指し、そのための方法論にマルクス主義者のような中央集権的な組織論を持たなければ、動機が民族にあろうともアナキストである。ただ、大韓民国では「国民」(nation)という言葉を名乗る組織が、究極的な目標としては国民国家を否定するアナキストである白貞基を「義士」と呼んで讃えているのが、微笑ましいというだけのことである。

 

前置きが長くなったが、本伝記の主人公たる鴎波白貞基は、極めてその生涯を再構成することが難しい人物である。

 

“……鴎波の一生を通して彼が言った言葉、彼が残した物、それに彼について語ったものがほとんど失われたようであるが、そのため今日彼を知っている者は多いが、また、彼が具体的にどういう人物であったのかは知られていない。”(本書48頁より引用)

 

“ 鴎波が残した物が二つある。一つは『世界大思想全集』(日本語版)であり、もう一つは彼が書いた手紙である。ところが実際には現在は手紙だけが残っており、唯一の遺品になった。”(本書78頁より引用)

 

“ 独立宣言書の成立過程や泰和館・パゴダ公園の独立宣言式に関与した人物は天道教キリスト教の信者、そして学生たちであった。また、独立宣言書が全国に配布されるに伴って、全国的に万歳デモが起こるが、これもまた大部分の主導者は宗教人や学生、またはそれに準ずる知識人たちに限定されていた。この点で鴎波は徹底して疎外された人物だった。学校に通ったこともなく、宗教人でもなく、いわゆる至近距離の人物中にもそのような者がいなかったようである。そうかといって、ちゃんとした儒生でもなかった。農民にもなれないごく普通の人間でありながら、独り、内面でだけ生きていく道理を磨いていたものとみられる。鴎波の一生で彼は一度も武装団体を組織して将となったり、独立軍の小さい部隊長または政治団体の部署長の肩書きも持ったことがない。そのうえ二四歳以前の四、五年間の行跡はたどる方法さえない。成年になり何らかの仕事でもしただろうが、彼はひとりぼっちになって潜んでいた人のようにまだ具体的に世に現れたことはなかった。また、彼を指導してくれる師匠さえ探せずにいた。”(本書69頁より引用)

 

 

アナキズムに関する体系的な思想を書き残したわけでもなく、自伝があるわけでもない。本書は中国にいた韓国人アナキスト団体の文献や、金九のような韓国独立指導者の自伝、日本のアナキズム新聞やその他の警察史料の中で浮かび上がった白貞基の姿を一つの線にしたものであり、その点でどこまで正確な伝記なのかは不明である。第一次上海事件の直後の1933年3月17日に日本の駐中華民国公使有吉明を暗殺しようとして未遂に終わり、日本の長崎の刑務所内で獄死したことと、その事件を以て死後金九により抗日烈士の一人として遇されたことだけが白貞基について唯一確実に判明していることであり、1921年に渡日した際に日本で大杉栄と近藤憲二の『労働運動』を読んでアナキストになったこと(71-73頁)や、上海の病院に入院していた1929年~1930年頃に日本人女性との恋愛未遂があったこと(156-159頁)が伝えられているが、これらのエピソードがどこまで確実な出来事なのかは不明である。

 

ただ、そのような不明なことの多い白貞基が、本書を書いた現在の韓国の左派民族主義者から

 

“ 未だに強者が弱者を、富者が貧者を抑圧し、力ある者本位の偽の和解、偽装平和を掲げる現象をよく目にする。さらには正義は強者のものであり、道徳は富者の保身策として悪用されているのを目にする。白義士は生前そのような不義、不道徳な一切の悪徳と闘い、東アジア人民の苦痛を克服するため、身を殺し仁を成したのである。そのすべてのことを一つにまとめて表したものがまさに六・三亭義挙(引用者註:有吉公使暗殺未遂事件)なのである。弱者を抑圧し相手を買収して個人の栄達と国家利己主義への盲従を誇示する背徳漢を撃滅したのである。その最後の身命をなげうって仁道のために尽くす義挙によって、鴎波白貞基義士は人類歴史に足跡を残す偉人になったのである。”(本書44頁より引用)

 

と、論語の一説を引合いにして顕彰されているということが、現在の韓国の非共産主義左派の歴史への向き合い方を物語っていると感じられ、アナキストを自称している私にとっても、とても興味深い読書経験であった。

 

最後に、本書から見える「日本」について述べたい。本書は様々なところに「日本」が顔を出す。それも、抗日テロリストであるアナキストの生涯を描いた伝記なのにもかかわらず、単に否定的な側面だけではなくである。白貞基が何をしていたかがわからない期間について、「一九二一年から二三年まで鴎波が日本に滞在したものと推定し」(本書70頁より引用)、その期間で大杉栄と近藤憲二の『労働運動』を読んでアナキストになり、1929年~1930年にかけての上海での入院中に日本人女性と恋仲になりかけ、白貞基が所属した上海の韓国人アナキストグループには日本人アナキスト(267-269頁)も存在したという事実が紹介され、「大杉栄など日本の良心的知識人」(本書29頁より引用)、「朝鮮植民地政策を公然と反対した大杉栄」(本書85頁より引用)と、大杉栄に対する評価は極めて高い。これらのエピソードを紹介する本書の筆致から、韓国の左派民族主義者が決して日本人を本質的には憎んでいないことを知ることができるのは、本書の大きな意義だと私は思う。

 

“ 日本は一八九四年八月、黄海の豊島沖で清国海軍を奇襲し日清戦争を引き起こしたように、今度も仁川沖でロシアの艦艇を奇襲することによって日露戦争の戦端を開いた。このような奇襲攻撃は日本軍の常套手段として満州事変、日中戦争真珠湾奇襲攻撃へと続けられていった。黄海上の海軍の勝利に続いて、朝鮮半島をわが物顔に通過し遼東半島に入った日本陸軍は、旅順を占領するとともに、すぐに旅順口虐殺事件を敢行した。抵抗力のない旅順口の住民を無差別に虐殺した野蛮な侵略行為に驚愕した欧米列強は、当時日本との不平等条約改定交渉を一斉に中断する措置をとったが、戦争を止めさせようとする努力まではしなかった。

 アジア最強国として君臨しようとする軍国日本は、日本軍内部では口を開けば必ず武士道精神をあがめ敬ったが、対外的には奇襲攻撃や抵抗しない者をむやみに虐殺する反武士道行為を思うがまま(←21頁22頁→)に行った。そのため伝統的な武士道精神を自ら踏みにじったのである。軍国日本にとってはただ力で欧米列強に追い付くという一念だけだった。この目的のためいかなる犠牲、いかなる対価を払ってでもひたすら邁進したのである。”(本書21-22頁より引用)

 

 

とあるように、「伝統的な武士道精神を自ら踏みにじった」ことが日本帝国主義の蛮行を批判する原理となっていることに私は驚いた。日本儒教史でもそうだったように、儒教の正統である朱子学では、「武」よりも「文」が優位にあるため、そこからは決して「武士道精神」を讃える発想は出てこない。にもかかわらず、朱子学の国韓国の民族主義者が、朝鮮にも中国にも存在しなかった「武士道」に、正しく用いられれば日本が野蛮な侵略行為に至らなかっただけの精神的な価値を認めているのである。日本のアナキストは武士道を学ぶべきなのかもしれない。今日の日本でアナキストを自称する人は、是非とも隣国の民族主義者から大杉栄がどのようにして知られているかを知るためにも本書をご一読いただきたい。