【読書録】ニック・タース/布施由紀子〔訳〕『動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか』みすず書房、東京、2015年10月1日発行。
ニック・タース/布施由紀子〔訳〕『動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか』みすず書房、東京、2015年10月1日発行。
KILL ANYTHING THAT MOVES
The Real American War in Vietnam
by
Nick Turse
First Published by Henry Holt and Company, LLC, 2013
Copyright© Nick Turse, 2013.
の日本語訳
2024年5月25日読了。
目次
序 作戦であって逸脱ではない
第1章 チェウアイ村虐殺事件
第2章 苦難を生むシステム
第3章 過剰殺戮
第4章 くり返された蛮行
第5章 終わりのない苦悩
第6章 バマー、“グーク・ハンター”、デルタのばらし屋
第7章 戦争犯罪はどこへ行った?
エピローグ さまよえる亡霊たち
謝辞
訳者あとがき
注
索引
概要
本書はアメリカ合衆国内の公文書館に埋もれた軍の資料や、ベトナムで勤務したアメリカ軍将兵やベトナムの人々のインタビューからなる、ベトナムにおける戦争被害の実態を明らかにした研究書である。
著者は、「民間人を殺害し、森の空き地や田んぼの排水路に死体の山を築いていたのは地上部隊だけではなかったのだ。米軍は毎日毎日、空からも攻撃する戦法をとり、その何倍もの犠牲者を出しつづけていた。南ベトナムの各地に、ジェット機が二五〇キロ爆弾を投下し、沖合の艦船が重量八六〇キロの砲弾を撃ち込んで、地下壕を直撃し、生き埋めになった女性や子供が窒息死や圧死を遂げていた。ヘリコプターが襲いかかった村では、数え切れないほど多くの人が恐怖に駆られて走りだし、結局はM〈←30頁31頁→〉60機関銃の掃射に切り裂かれて命を落とした。その場で立ちすくんだ人も同じ運命をたどった。一個の分隊や小隊、中隊が殺害できる人数にはかぎりがある。じかに顔を合わせた相手に殺された人は、数百万人におよぶ南ベトナム全体の民間人犠牲者のなかでは、ほんのわずかな比率を占めるにすぎない」(30-31頁)と述べており、本書で描かれるアメリカ軍将兵がベトナムの人々に対して揮った暴力が、「数百万人におよぶ南ベトナム全体の民間人犠牲者のなかでは、ほんのわずかな比率を占めるにすぎない」ことが示唆されているが、それでも本書で提示された事実は圧巻であった。「ベトナムの人々にとってアメリカの戦争は、惨禍が際限なくつぎつぎに襲いかかってくることを意味した。賞金目当てに殺され、ごみ捨て場で撃たれ、米兵によって売春を強いられ、あるいは輪姦され、気晴らしのために路上で車に轢かれ、裁判を受けることもできずに投獄され、拷問にさらされる……。苦難の範囲は無限に近かった」(227頁)という著者の言葉に嘘偽りはない。
圧巻なのはアメリカ軍によるベトナム人の大量殺戮を正統化する役割を果した思想的なメカニズムを論じた、第2章の51-57頁だった。マクナマラ国防長官と彼を支えるテクノクラート(技術官僚)たちは、科学的な戦争観として、圧倒的な軍事力を行使し続ければ、いつかベトナム側が戦力を補充できなくなる「転換点」に達するだろうと考え、「転換点」に達するまでひたすらボディカウント(死体数)を増やすという目標を立てた。この、「ボディカウントを目安にする考え方は、すでに一九五一年の朝鮮戦争のころから導入されていた。その当時も、作戦により殺害した敵の数が成功を測る指標になっていた」(53頁)とのことだが、一九六〇年代のベトナム戦争においても引き続き「マクナマラを長とする戦争運営者たちが、拡大を続ける戦争で確かな進展があったことを示す統計値を求めれば、ボディカウントが――アラン・エントーヴェン国防次官補が言うところの――『成功を測る唯一のものさし』となったのだ」(53頁)。その結果、出世のためにボディカウントを増やそうとする下級士官や、戦場での休暇やビールなどの良い待遇のためにボディカウントを増やそうとする兵士たちのインセンティヴは大いに刺激され、「死者数の総計をスポーツの記録のように考える風潮」(56頁)が生まれていたとのことである。
“ 士官たちが上官の心証をよくして昇進を勝ち得ようとする一方で、戦場の〝歩兵〟たちにも、死体の数を増やしたくなるような褒章がたくさん用意された。たとえば、保養(R&R)休暇――つまり、ビーチ・リゾートで数日間、日光浴をしながら楽しく過ごせるわけだ――に、メダル、バッジ、食糧やビールの特別配給、非正規品の服を着る許可、後方基地での負担の少ない任務などが約束された。第九歩兵師団の衛生兵、ウェイン・スミスは、ボディカウント制は、「殺人に対する意欲を異様に高めて、われわれの価値観をもてあそんだ。うちの部隊では、殺害実績が認められると三日間の現地保養休暇が与えられ、ヴンタウのビーチに行けたんだ」と語った。別の帰還兵も同じことを言っている。「ぼくらはたがいに競わされた。いちばんボディカウントの多かった部隊には、保養休暇か、ビールがひとケース余分に与えられた。一九歳の若造に、人殺しをしてもいいんだ、そうすれば褒美がもらえるぞと言うわけだ。頭がおかしくなっても不思議はないだろう?」戦争が続くうちに、やがてひとりで膨大なボディ〈←55頁56頁→〉カウントをたたき出すものが現れた。何度もベトナムへ送られた経験のある少数の選ばれた兵士のなかに、一〇〇〇人かそれ以上を達成する者が出てきたのだ。”
(本書55-56頁より引用)
本書にはその他にも、ベトナム戦争中のアメリカ軍将兵が行った残虐行為が具体的な実例と共に列挙されているが、私が個人的に最も関心を抱いたのは、自由や民主主義や人権を標榜するアメリカ合衆国の軍隊が、そういった価値とは程遠い蛮行を働くことを可能とするこのような思想的・構造的な背景についての箇所であった。
ベトナム戦争中のアメリカ軍にあっては拷問が日常行為になっていたと著者は記している。「一九六九年に陸軍士官を対象におこなわれたアンケート調査では、六〇パーセントが、尋問のさいに捕虜に口を割らせるために拷問や脅迫をすると答えた」(39頁)。その中でも著者は、「ベトナム人を平手打ちにし、一八リットル缶いっぱいの水を顔に浴びせ」(221頁)る拷問を行ない、そのベトナム人を死に追いやったデイヴィッド・カーモン氏(階級は不明)に取材したときのことを以下のように記している。「戦後何年も経てから、わたしはデイヴィッド・カーモンをさがしあて、拷問をしたことをどう思っているか、きいてみた。彼はまったく後悔していなかった。『自分のしたことについてはなんら恥じるところはない』といい、同じような状況に直面したら、また同じことをすると断言した」(223頁)。大多数の人々にとって、カーモン氏の拷問について恥じることも後悔することもないという姿勢に理解を示すことは困難であろうが、ある意味では、カーモン氏の姿勢は、このような心性を持っていないと自由や民主主義や人権を価値として重んじるアメリカ合衆国であっても、軍人は務まらないということをこの上なく明瞭に示しているのかもしれない。戦争法に違反していようとも、自らの任務達成のための拷問という手段に疑いを持たないカーモン氏が、軍人として優秀であることは誰もが認めることであろう。そうであるからこそ、軍人が幅を利かせる常備軍という組織が政治的な力を持たないようにしなければならないのである。