【読書録】D・アプター、J・ジョル編/大沢正道、江川允通、見市雅俊訳『現代のアナキズム』河出書房新社、1973年5月15日初版発行。

【再掲】D・アプター、J・ジョル編/大沢正道、江川允通、見市雅俊訳『現代のアナキズム河出書房新社、1973年5月15日初版発行。


1939年のスペイン革命の挫折の後、1968年の世界的な若者の反乱を契機にして復活した世界各国のアナキズム運動についての論文集。
 
・デーヴィド・アプター/江川允通訳「昔のアナキズムと新しいアナキズム」(7-27頁)
・リシャール・ゴンバン/大沢正道訳「フランスの最近の事件にみられる異議申し立てのイデオロギーと実践」(29-52頁)
マイケル・ラーナー/江川允通訳「アナキズムアメリカの対抗文化」(53-93頁)
・J・ロメロ・マウラ/大沢正道訳「スペインの場合」(95-123頁)
・デーヴィド・スタフォード/大沢正道訳「今日のイギリスのアナキストたち」(125-149頁)
・都築忠七/見市雅俊訳「日本のアナキズム」(151-175頁)
・ジェフリー・オスターガート/江川允通訳「インドのアナキズム――サルヴォダヤ運動」(177-205頁)
・ルドルフ・デ・ヨング/大沢正道訳「プロヴォとカブーテル」(207-226頁)
エドゥアルト・コロンボ/江川允通訳「アルゼンチンとウルグアイアナキズム」(227-270頁)
・ジェームズ・ジョル/大沢正道訳「アナキズム――生き続ける一つの伝統」(271-287頁)
 
の10本の論文と、大沢正道氏の「訳者後記」から構成されている。古本屋で目次に「アルゼンチンとウルグアイアナキズム」があったのを見て購入したが、当該論文では私が知りたかったアルゼンチンのアナキストのペロン主義への転向についての話は特になく、それについては残念であったが、マイケル・ラーナー/江川允通訳「アナキズムアメリカの対抗文化」(53-93頁)とJ・ロメロ・マウラ/大沢正道訳「スペインの場合」(95-123頁)は非常に興味深く、両論文を読めたことにより本書を買って良かったと感じられた。以下、この二本の論文について感じたことを述べる。
 
マイケル・ラーナー/江川允通訳「アナキズムアメリカの対抗文化」(53-93頁)
1960年代のヒッピー運動に象徴される若い世代の主流文化への対抗文化の中に、新しいアナキズムを観たラーナーのこの論文は、1960年代以後現代まで続く、アメリカ合衆国、及びアメリカ合衆国の影響を否定できない全ての先進資本主義国の現代アナキズム運動がどのように登場したかについて、示唆を与えてくれるものである。
 

“ 新しいアナキズムと昔のアナキズムとの類似点で最も重要なのは、次のようなものだろう。すなわち暴力に対する新たな容認、多数派専制主義〔majoritarianism〕の否認、個人の道徳的責任の強調、科学技術的国家に対する根底からの批判、所有に対する禁欲主義、ならびに生活を簡素化しようという欲求である。
(本書56頁より引用)


 
 
本稿では、以上のうちの「暴力に対する新たな容認」と、「個人の道徳的責任の強調」について述べよう。まず前者から。
 


“ 多くの対抗文化の暴力がそなえているアナキズム的特性が、さらに二つある。一つは、暴力が行使される際のその規模であり、もう一つは、反乱における暴力行為を何か神聖なものとみる見解である。暴力が(←65頁66頁→)敵対集団の手段となると、その凶暴性がほとんど必然的にエスカレートする結果になることはよく知られている。けれども新しいアナキストの企てる暴力が、例えば爆撃機手が行使するような科学技術的暴力に変わることは全くありえない。爆撃機手は全然歩をしるしたこともないような国の上空を数マイルもの高度で飛びながら、怒りを感じるわけでもなく、深い個人的信念をもっているわけでもないのに、恐るべき威力と複雑な機構をもった爆弾を投下するのだ。今日、対抗文化において顕著な型の暴力は、ウェザーメンによって表されているようなものである。彼らは――アメリカでは誰でもできるように――銃を執ることもできる。それなのに彼らは銃の代わりに棒やチェーンをもって警官を襲撃する。その上多くの場合、逮捕されるのは承知の上であり、また彼らが警官に与えたのと同じような打撲を受けるのも覚悟している。だがそこには、刑が軽くてすむだろうという損得の計算以上のものが含まれているのだ。彼らの中世的とでもいえる暴行は、その肉体的な直接性において、ニューヨークがセントラル・パークで催すべきだとノーマン・メーラーがかつて提議した馬上槍試合大会にも似ている。”
(本書65-66頁より引用)

 
私自身はこのラーナーの暴力擁護論に、原則的には与することはできない。ラーナー自身が述べるように、暴力はエスカレートするものである。最初は角材(ゲバ棒)から始まった日本の新左翼内ゲバが、凄惨な殺し合いになっていったことを思うに、原則的にはやはり暴力の行使は批判されなければならないと考えるからである。現にラーナーが「銃の代わりに棒やチェーンをもって警官を襲撃する」と述べたウェザーマンは、本訳書が刊行された頃にはもう既に、「爆破は個人対個人の暴力から科学技術的暴力の移行であり、科学技術的な手段はアナキストの個人的な、そして社会的な目的を傷つける」(本書92頁より引用)とラーナーがで非難する爆弾闘争という手段を採用するようになっていたことを想起して欲しい。また、日本の新左翼諸党派が、党派間の内ゲバを早期終結させるという方向に向かわなかった要因の一つに、新左翼諸党派による暴力を「人間性にふかく根差した人間的行為」として肯定する理論の影響があったことは疑いえないであろう。暴力に対する歯止めを持たずに暴力を神聖化する暴力擁護論は必ず暴力をエスカレートさせる。だから、原則的に私は本論文のラーナーの暴力擁護論に反対である。
 
 
ただし、本論文の以下の引用部で論じられているような直接的な暴力の忌避が代理的な暴力を結果的に肯定することに繋がるという議論を念頭に置けば、個人対個人の、一対一の、相手を殺すことを目的としない暴力、要するに中学生の殴り合いのケンカぐらいの暴力なら、私ももっとやっておけば良かったという感慨はある。

 

 

“ 主流文化における中産階級と上流階級は、個人対個人の暴力との接触を失ってしまった。これらの階級の子供たちは自分自身の怒りに触れないように、怒りを神経症的に恐れるように育てられる。彼らは代理的暴力――フットボールとかジェットとか核兵器――を受け入れるよう口説かれる一方、広告は代理的性と代理的生を特徴にしている。彼らは広告にある調製品や調合物やまじないを使ってそれらに触れるようになるのだ。対抗文化がその価値の価値転換のなかで最も断乎として拒否してきた主流文化の特徴は、個人的で直接的な満足の代わりとして代理的な(あるいは際限なく後回しにされる)満足を認めるところにある。原子力至上主義という宗教やテレビでフットボールの暴力を視聴する日曜日の儀式は、この型の一部として否定され、個人対個人の暴力に神聖感は取りもどされる。これはいくつかの点で、前方へ大きく踏み出された一歩だといえるものではないかもしれない。というのはとりわけ、個人対個人の暴力は、異議申し立てされている社会的不公正がエスカレーションによって減少するか否かに関わりなく、科学技術的暴力へと容易にエスカレートしうるからである。たいていの人たちは何らかの観点から、個人対個人の暴力への回帰を一つの後退であると判断するだろう。けれども別の点では個人対個人の暴力は――その神(←68頁69頁→)聖さの範囲の限界と、実行に関して死に至らぬ儀礼とがもっと明確に規定されるなら――それにとって代わろうとしてきた原子力至上主義よりもずっと納得のいく、そして危険の少ない信条になるかもしれない。
 この議論が妥当であるにせよないにせよ、歴史を振り返れば、バクーニンのようなアナキストたちは、政府による圧制や収奪に対しての暴力をもってする個人の反応のうちに何か神聖に近いものを見た、ということはやはり本当である。そしてこのようなヴィジョンが今日、対抗文化のなかに戻っているのである。”
(本書68-69頁より引用)

 

“ 個人対個人の暴力がふたたび神聖なものとされるようになったということは、対抗文化のより広い特色、すなわち個人の生は神聖なものだという観念の復帰の一部である。そこに意味されることを俗っぽい言葉で言い表すと、きみの生は、きみのいちばん大事な持ち物であり、道具なのだ、そしてそのようなものとして生をどう生きるかということは最も意義の深いことだ、ということになる。”
(本書69頁より引用)


 
 
 
個人と個人の暴力の神聖化が個人の生は神聖なものだという観念の復帰に繋がる、というのはわかりづらいが、要するに、先に述べた中学生の殴り合いの喧嘩が、終わった後に生きていることを実感するような興奮を味合わせてくれる、ということであろう。デヴィッド・フィンチャー監督の映画『ファイト・クラブ』(1999年)で描かれたことはそういうことだったと私は思う。私自身は体格が貧弱なので、中学時代に殴り合いの喧嘩をしても大体いつも負けていた。ただ、あれが、お互いを死に至らしめるわけではない個人対個人の暴力だからこそ、安心して怒りの感情を解放できたという側面は間違いなくあったとは今にしてみれば思う。
 
ただ、ラーナーに同意できるのはやはりそこまでである。何度でも繰り返すが、暴力はエスカレートする。私は2008年にペルーを旅行した際に、首都のリマの宿があったマグダレーナ地区の周辺で手足のない人を沢山見たことがあった。あの人たちがペルー政府軍とペルー毛沢東派のゲリラ組織センデロ・ルミノソとの内戦で手足を失ったことに気が付いたのは帰国してから何年も経った後であったが、エスカレートした暴力があのような形で暴力的に手足を奪われた人を多数生み出すかもしれないと思うと、とても暴力を神聖化する気持ちにはなれない。
 
もちろん、そうは言っても、人間が生きる中で完全に暴力を廃して生きていけるとは思わない。通り魔のような形で突然降りかかる理不尽な暴力から身を守るために、暴力を行使しなければならないこともあるだろう。私自身はできればそんな機会にはめぐり合わせたくはないが、その場合も相手も自分も決定的に傷つけない範囲に、自分の振るう暴力の限度を留めたいものである。
 
次に個人の道徳的責任の強調について。
 

“ 個人も政治的責任があるという熱烈な責任感と組み合わされた通常の政治のやり方に対する非政治的軽蔑(そしてしばしばその無視)は、はっきりとアナキズムだけのものとわかる組み合わせだが、それは対抗文化のなかにもみられる。「たった一人の人間に何ができるのだ」という疑問に対して、アナキストは――たぶんアナキストだけが――「何だってできるぞ」と答える。それは他者を救おうと一歩踏み出すことは、自分自身の生を奪還するための唯一の道である、ということを意味している。”
(本書71頁より引用)

 

 


 
上記引用部は面白いと思った。ウドコックも書いていたけれども、アナキストの面白い点はこういうことだと私も思う。私はアナキストを自称しているのでこうなりたいものである。
 
 
最後にアナキズムと権威について。晩年のバクーニンは、アナキストでありながらも権威の存在を認めていたが、何を権威とするかについてはついに科学と専門知識以外に、その答えを示すことができなかった。このような次第である。

 

“ 私が専門家の権威の前に頭を下げるのは、私自身の理性によってそれが押しつけられたからである。私は人間の科学の確かな発展や詳細のなかで、きわめてわずかな部分しか理解してないことを意識している。どれほど偉大な知性でもすべてを理解するには十分であるまい。ここからして、科学に(←206頁207頁→)おいても産業においても、労働の分化と協同が必要になってくる。もらったりやったりするのが、人間の生活なのである。一人一人が指導的権威であり、一人一人が指導されるのである。したがって固定化した、不断の権威などというものはけっしてない。一時的で、とりわけ自発的な、お互い同士の権威と服従の絶えざる交代があるだけだ。
これと同じ理由から、私は固定化した、不断の、普遍的な権威というものを認めることができない。なぜなら、すべての科学、社会生活のあらゆる分野を、すみずみまでくまなく理解し得るような――このような理解なくしては科学の生活への応用はけっして可能ではないが――すべてを包括する人間は絶対にいないからである。もしもこのような普遍性がただ一人の人間のなかに実現されているとしたら、そしてその人間がそれを利用して自分の権威を押しつけようとしたら、彼を社会から追放すべきである。なぜなら彼の権威は必ずやすべての者を隷従と愚鈍におとしめるだろうからだ。私は今日まで社会がそうしてきたように、天才を虐待すべきだとは思わない。しかし彼らをあまりにもふとらしたり、とくになんらかの特権や排他的権威を与えるべきだとも思わない。それには三つの理由がある。第一にぺてん師を天才と間違えることがしばしばあるからだ。第二には特権の制度によって、真の天才がぺてん師に変わり、モラルを失って愚かになることがあるからだ。最後にこのような制度が暴君を生み出すからである。
 ここで要約しよう。われわれが科学の絶対的権威を認めるのは、科学がもっぱら物質的世界と社会的世界――これら二つは事実上、同一の自然界を構成しているにすぎないのだが――の物質的・知的・精神的生活に固有の自然法則を、できるかぎり体系的に、かつよく考えて、内心で再現することを目的としているからにほかならない。このように合理的で人間の自由にかなっているがゆえになに(←207頁208頁→)よりも正統な権威以外、われわれは他のすべての権威が、偽れる、勝手な、専横な、有害なものであることを宣言する。
 われわれは科学の絶対的権威は認めるが、科学の代表者たちの無謬性や普遍性は拒否する。……”
(「神と国家I」外川継男訳『バクーニン著作集3――鞭のゲルマン帝国と社会革命』白水社、1973年12月20日発行、206-208頁より引用)

 

 


 
 
ラーナーの権威論は、ジョン・シャール(John Schaar)の権威論を引きつつ、アナキストが何を権威とするかについての答えを出しているように見えて興味深かったので、以下に当該部を引用する。

 

“ 共同体の総意への随順や共同体の権威への同意は、刑罰の脅威のもとに要求される国家の政治的正義への服従よりももっと耐えがたいものなのか、これこそわれわれが問わなければならない問題なのである。これに対する解答は、多分に状況と参加者の心の状態によってきまるものと思われる。もちろん、多くのアナキストの共同体において、人々は主流文化において法によって要求されるよりももっと厳しい行動のおきてに進んで同意している、という事実がある。けれどもこうした事実があるからといって、それがアナキストの共同体はいっそう大きな自由を与えるということを否定する、説得力のある議論になるとはわたしには思えない。アナキストは他の人達よりも少ししか自由をもっていないという意見は、ジョン・シャールからたいそう手厳しく批判されたもの――自由と権威との必然的対立――を前提としている。アナキストは(シャールとともに)権威の定義をやりなおしているようである。すなわち権威とは範例と英知によって、見ならうに値する人たちだということを示したものへの同意である。しかもアナキストの共同体は、範例的権威への同意を自由と最もよく調和させるような、すばらしい倫理的等質性を具えていることが多い。”
(本書80頁より引用)


 
 
 
 
・J・ロメロ・マウラ/大沢正道訳「スペインの場合」(95-123頁)
ロメロ・マウラの本論文は、スペインのアナキズム運動についての西側での通説的な理解(たとえばウドコックが『アナキズム』で見せたような)を、スペイン人研究者の立場から反駁するものとなっている。ヨーロッパ諸国、いや、全世界でスペインに最後までアナキズム運動が生き残った理由を英米の研究者はスペインの特殊性に求めがちだったけれども、スペインのアナキズムの成功の要因は、当時のスペインの置かれた社会的状況を考慮すれば合理的に理解できるということが本論文の骨子となっている(96-100頁)。

 

 

“ アナキズムはつねにスペインの大衆を魅了し、それは第一インターナショナルの時以来、ほぼ不変であったという印象が広くひろがっている。しかしこれは現実を歪めた見解である。第一次世界大戦の最後の年まで、アナキズムはスペインで大衆運動にはならなかった。その基本的な見地は時の推移とともに根本的に変化した。スペインのリバータリアンがその運動を大衆組織に転化させるのに成功したのは、アナルコ・サンジカリズムの思想が具体化した時だけである。スペインのアナルコ・サンジカリズムの定式は、(←100頁101頁→)リバータリアン本来の主義を理論的に調整する、長い間の苦難に満ちた複雑な過程の結果である。”
(本書100-101頁より引用)

 

 


 
要するに、スペインのアナキズム運動は19世紀から20世紀初頭にかけて長らく停滞し続け、ようやくサンディカ=労働組合に浸透できたのは1918年だったということである。スペインのアナキストは1890年代にテロリズムで労働者の支持を得ようとして労働者から見向きもされなかったため、戦術を変え、1910年にフランスのアナキストからアナルコ・サンディカリズムを導入することにした(104-107頁)。ただし、スペインのアナルコ・サンディカリストは、フランスのアナルコ・サンディカリストのように、ゼネラル・ストライキが無血革命に繋がるとは考えなかった(108頁)。スペインのアナルコ・サンディカリストゼネラル・ストライキの後に武装蜂起と純然たる暴力によって革命を勝ち抜くという考えを維持し続けたのである(108頁、116頁)。この点で、スペインの労働組合CNTは、他のヨーロッパ諸国の労働組合が陥った改良主義には陥らず、革命的組合であり続けた。
 


“ 今世紀初頭、ヨーロッパの他の諸国では社会民主主義改良主義政策を全く支持しない組織と活動家がいた。そこでは革命の両親はボルシェヴィズムか革命的サンジカリズムの形をとった。おそくとも一九二〇年には、このうちの二番目は亡び、前者だけが革命政党として残った。スペインのアナルコ・サンジカリズムだけが同じ過程をたどらなかった基本的な理由は全く明白なようにみえる。その基礎となる考え方は、革命的サンジカリズムの思想が他の国々ではそれらに欠けていたのに比べて、その思想を裏切らなかったのである。
 フランスとイタリアの革命的サンジカリズムの盛衰についてはまだほとんど知られていないけれども、ただ一つ、とくに革命的ゼネラル・ストライキという彼らの思想が危険な神話であったことは十分に明白である。サンジカリストのいうゼネラル・ストライキは、よく主張されるようにただに経済的ストライキではない。それはある程度の暴力を伴う、全般的占拠たるべきものであった。だがゼネラル・ストライキの思想は、フランスのコミューンが武装蜂起はブルジョア国家の軍隊によって敗北せざるをえないこと(←115頁116頁→)をたった一度ながらに明確に立証したとおもわれたのち、武装蜂起にとって代わるものと考えられた。フランスとイタリアのサンジカリストは、暴力を雲散霧消化し、サボタージュを通じて国家の手段への協力を防ぐことで、ゼネラル・ストライキは労働者に対するありきたりな軍隊の使用を不可能にするだろうと考えた。これは幻想であった。それは一九〇四年よりずっと前から政治家がゼネラル・ストライキにどう対処したかをみればすぐに分かることだ。すでに一九〇一年にジョレスはCGT指導者に警告し、武器を手にして戦わずにサンジカリズム革命を達成できると労働者に考えさせる点で無責任だと述べた。「ゼネラル・ストライキは……労働者階級を欺く」と。
 イタリアのUSI〔イタリア労働総同盟。一九〇一年に結成されたサンジカリストの組合〕内にいた共産主義アナキストはこの誤りの危険を知っていた。だがアルマンド・ボルギのあらゆる努力にもかかわらず、彼らが指導権をもたぬ運動に彼らの見解を押しつけることはできなかった。けれどもスペインの場合、この間違った判断は決して受け入れられなかった。すでに指摘しておいたように、労働者の連帯派やCNTの創立者たちは共産主義アナキズムを背景としており、――他の諸国の革命的サンジカリズムの綱領とは逆に――彼らの目的は自由共産主義たるべきだと公言するほどであった。彼らは決して、最終の戦いは純然たる暴力によって決せられるものとなろうという共産主義アナキズムの考え方を清算していなかった。したがってCNTの失敗した蜂起はあまりに性急すぎたという点から説明され、闘争の性格の重大な間違いとはされなかった――この相違は重要である。なぜなら失敗がただの性急さに帰せられれば、その結論は闘争の放棄よりもむしろ慎重さを求めることになるからだ。
 共産主義がフランスで、ポーランドでの大失敗以前に、ゼネラル・ストライキというサンジカリストの戦略に対する革命家たちの幻滅につけ込む機会をとらえたようにはスペインでいかなかった理由は、この展望からすればいっそうたやすく理解される。もちろんCNTは十月革命に感銘を受け、赤色労働組合イ(←116頁117頁→)ンターナショナルに実際、加盟さえした。しかし連合が感銘したのは、ロシアでの革命が人民とソヴェトへの権力を意味しているかにみえたかぎりにおいてであった。実際、ロシア自体でも多くの人々は『四月テーゼ』や『国家と革命』をある意味でアナキズムのパンフレットとみなしたのではなかったか?その後CNTの訪問者たちはソ連から悪い情報を持ち帰り、アナキストの文献は現実にそこで起こったことについて悲惨な話しを語りはじめた。
 ほんの一握りの活動家の集団だけが、権力掌握というボルシェヴィキの有効性に誘惑され、強力で規律正しく閉ざされた組織の必要を確認するようになった。彼らはもっとも著名で、もっとも尊敬される人々のなかにいた。彼らは「アナルコ・ボルシェヴィキ」といわれたのだが、ほとんど発展しなかった。CNTの組織構造とその内部での態度は彼らの活動に有利でなかった。共産党の歴史も同様であった。スペインの革命家にとって十月革命は大衆の問題であった。一見したところ戦略上優位にみえたにもかかわらず、ロシア以外の共産党は一九一七年以後、ほとんどなにも達成しなかった。コミンテルンはCNTとFAIとおなじように献身的で有能な活動家からなる一大世代をすくなくとも作りあげた。だが共産党は、政治と労働とのペダンティック社会民主主義的分離とローザ・ルクセンブルクが呼んだものを、どうしても克服できなかった。オーストリア、ドイツ、その他の諸国の共産党の歴史をみるなら、第二インター第三インターの相違は、前者が改良主義で自らもそう言うのに対して、共産主義者改良主義者なのにそれを否定している、それだけのことだと、一九三〇年代にアナルコ・サンジカリストが考えたのは許されるかもしれない。”
(本書115-117頁より引用)


 
 
長い引用になったが、スペインのアナキストは、ゼネラル・ストライキによる無血革命という幻想を信じなかったがために、ヨーロッパの他の諸国のアナルコ・サンディカリストや各国の共産党が陥ったような改良主義には陥らず、その革命的戦闘性を維持し続けられたということである。暴力革命の是非については、先述のペルー政府軍と毛沢東派のセンデロ・ルミノソとの間の内戦が、理不尽に生命や手や足を奪われる人々を多数出した上に、結局のところは先住民や黒人に対する構造的な差別を抱えるペルーに新たな社会を築き上げることができなかったことを考えると、道義的にも戦略的有効性の点からしても、私は反対である。実際に暴力が発動し、エスカレートした時に、死んだ人の命や傷ついた人の身体は戻ってこないからである。ただし、引用部にフランスの社会主義者ジャン・ジョレスが、武器を手にして戦わずにゼネラル・ストライキで革命を達成できると労働者に考えさせる点で無責任だと労働組合の指導者に言っていたとある通り、武器を手にする覚悟を持たずに革命が実現できると考える甘さへの批判だと捉えるのならば筋は通ると思う。武器を手にする覚悟を持つということは一種の精神論であり、そして、この精神論は歴史上のすべての暴力革命が実現される際に背景となったよっぽどの非常事態、例えば第二次世界大戦下のアルバニアユーゴスラヴィアで、自国政府が侵略軍に敗北し、侵略軍を追放するためにレジスタンスとして武器を取るといったような、そのような危機の時代でしか通用しない精神論である。この武器を手にすることを厭わない精神を持ったスペインのアナキストの戦闘性に、本論文の106-112頁で触れられている、幹部を無報酬にすることで組合内に官僚制が形成されることを阻止するというようなスペインの労働組合CNT独自の組織形態が組み合わさり、スペインでは実に1930年代までアナキズム運動が生き延びることになったということが、ロメロ・マウラの論文の骨子となる。
 

“ 組合員の熱情を殺さぬように作られたCNTの構造は事実、直截なやり方でその促進を助けた。一定の工場内のすべての労働者を単一の組合の傘の下におくことで、産業別組合は労働貴族に対して大多数の未熟練労働者の戦闘性を課した。組織の環の基礎を地域におくことで、その地域のすべての労働者が結集し、労働者階級の連帯は組合の連帯を越え、それより前に促進された。この点、スペインの経験はフェルナン・ペルティエ〔フランスの革命的サンジカリズム運動の推進者の一人〕が熱情的に擁護した労働取引所〔Bourses du Travail 〕という地域方式に固有の革命的資質を確認した――それはすでにイタリアの労働会議所〔Camere del lavoro〕の歴史(←110頁111頁→)が確証したものである。
 それ以上ではないにせよ、全く同じくらいに重要なのは連合の幹部の無報酬という政策の影響であった。これが、管理すべき組合基金の些少と一緒になって、他のヨーロッパ諸国で発達したのと同じように労働組合内部に中産階級的官僚制が形成されるのを阻んだ。実際それは、どのようなものであれ官僚制の形成を妨げ、またヨーロッパの革命的サンジカリズムの同調者たちがあらゆる点で周到すぎるほど分析した官僚制の肥大化に伴うすべての結末を阻んだ。無報酬の政策は指導者を選ぶ場合、もっとも献身的なもの、つまりなにも所有せず、立身の拒否を徹底して貫いた人々を選ぶこととなった。
 CNTの組織型態がその革命的傾向を強めた別の位相があった。それはその組織のきずなが非常にゆるやかなことであった。根っからの無規律は明らかに欠点なのだが、にもかかわらず利点でもあった。つまり官憲が指導部に潜り込んだり、穏健な政策を強める方針を取らぬ個々の指導者を買収したり、脅迫したりする試みの効果をあらかじめ相殺したからである。もちろん挑発はずっとたやすく企てられた。だがそうはいっても、CNTを挑発することはいつもしごく容易なことだった……。”
(本書110-111頁より引用)


正直なところ私にはこのロメロ・マウラのスペイン・アナキズム論がどこまで正しいのか判断できない。本書刊行時点ではまだフランコ総統が生きていたので利用できなかった史料を用いてスペイン・アナキズム運動像を再構成すれば、また違う論点が出てくるのではないかとも思うけれども、それでも改良主義第二インターナショナル型社会民主主義)と革命主義(第三インターナショナルマルクスレーニン主義)の間には、既に1930年頃には、実は本人たちが言うほど相違が存在していなかったという説明と、その中でスペインのアナルコ・サンディカリズム運動が革命主義的であり続けられたことが飛躍の要因だという説明は非常に興味深かった。


以上、アメリカ合衆国とスペインの事例についての論文の中身について、私見を交えながら論じたが、アナキズムに興味を持つ方はこの二本の論文を読むためにだけでもぜひ本書をご一読いただきたい。マイケル・ラーナーの言う通り、たった一人の人間だけが何だってできると答えるところにこそ、アナキズムの素晴らしさがあることを、アナキストである人には是非とも確認して欲しい。

(2021年1月3日に投稿したものを、2021年11月1日に修正・加筆して再掲)