『serial experiments lain』を観終えた

道すがら散りかふ花を雪とみてやすらふごとにこの日暮らしつ

                       (金槐和歌集65)

 

 

風が吹く。雲が流れる。永遠に続くかのような夕暮れ時の中、まるで雪の如くに桜が舞い落ちる。

 

今日は半年ぶりにジョギングをしてきた。根っから体力がない人間なので、1.5kmほどでヘトヘトになる。自分に体力がないことを意識するのは悲しいが、少し走るだけでも何も考えられないほど消耗できるのは、その間だけでも何も考えなくてもよい時間を持てるということでもある。きっと幸せなことなのだろう。


昨日、Chaykaさんが『ガサラキ』と共に激賞していた『serial experiments lain』を視聴し終えた。具合が悪い時に見る夢といった趣で、正直なところストーリーはよくわからなかったが、最終話の「記憶にない人間は、最初からいないも同じ」(概要)というメッセージには思うところがあった。今まで関りのあった人達の中で、僕はどれだけの人に記憶されているのだろうか。50年経った後、どれだけの人が僕のことを憶えているだろうか。そういえばというか、今までずっとリアルワールドでは人の記憶に残らないように振る舞いつつ、逃げるようにインターネットで思い思いに過ごしてきたんだった。それではまずいと思いつつも、肉体を持った現実の自分とインターネット上の情報としての自分を上手く統合できない。きっと、今でさえ現実の自分を認識している人よりも、情報としての自分を認識している人が多いのではないか。どうにかセルフイメージと現実の自分と情報の自分を、もう少し統合したい。

先週このブログに書いたように、twitterのアカウントを一旦、削除したのも、情報の自分が肥大化しすぎているのがまずいと思ったからだ。急進的かつ革命的ではありたいけど、自分は革命戦士でも職業革命家でもない。一回の社会主義者に過ぎない。もしそのことを忘れてしまえば、今に誰の胸にも訴えられない言葉しか出せなくなるだろう。気を付けないと。


もしも現在立てている計画が、全て順調に進めば、今年は年始から年末まで実家で過ごす最後の一年になる。

今日で2017年度が終わる。物心ついたころからずっと自分の存在が、自分が生きていることが、何か汚いことのような気がして罪悪感を抱いていたが、残った時間を自分にしてはよくやったと、死ぬ前に自分に言える程度に頑張ろうとそう決めたんだから、新年度も頑張ろう。

 

 

塔を組み堂をつくるも人の嘆き懺悔にまさる功徳やはある
                      (金槐和歌集616)