チリ・クーデター45周年に際して:アジェンデは生きている

45年前の今日、1973年9月11日に南米南部のチリ共和国にて軍事クーデターが発生した。本稿ではこのクーデターについて多くを述べることは避けるが、代議制民主主義の要件を全て満たした上で大統領となり、「マルクス主義の古典によって予見されてはいるが、これまでにけっして具体化されたことのない、複数政党制の道」*1を通じてチリの社会主義化を実現しようとしたサルバドール・アジェンデ大統領以下2700人*2の政権支持者がアメリカ合衆国のCIAによって後援されたチリ共和国軍により殺害され、ピノチェト将軍を首班とする軍事政権が成立したことだけをここでは確認する。

アジェンデは45年前に死んだ。その間、アジェンデが実現しようと夢見た社会主義の理想はソ連の崩壊や中国の資本主義化の進展により見る影もなく衰微した。しかしながら、北方の巨大な帝国の政治的・経済的支配に立ち向かった末にアジェンデが殉じた理想には、2018年の今日であっても、1945年以来同じ巨大な帝国に半ば支配されている国に生きる者にとって、決して無視できないものが含まれていると私は考えている。以下に、短いながらも、アジェンデが大統領在職中の1971年6月に書いた小編を引用することで、アジェンデが何のために闘い、何のために死んだのかを考えるための材料として本稿の読者に提供する、

“ 私は北アメリカの読者に、あらゆる偏見に打ち勝って、私の言葉に虚心に耳を傾けてくださるよう、お願いします。チリ社会主義が何を意図しているかを十分に把握するためには、わが国の人民の真の性格を客観的に理解することが必要です。なぜなら、わが国の人民の渇望は、あれほどしばしば無視されあるいは裏切られてきはしましたが、明らかに正当なものであるからです。歴史的感覚をもってわれわれが繁栄した人間らしい国の建設を要求するなら、わが国の社会の不平等は存在し続けることはできません。現在まで実施されてきた諸計画は、国民所得の不公平な分配の生み出した大きな不均衡の是正には成功しませんでした。チリの改良主義は、少数者の安逸な生活と多数者の窮乏を許してきた社会の悪弊を根絶することができませんでした。もっと大胆で普通の人間に立った方法を探求した結果、われわれは、社会主義に、チリ社会主義に、行き着かざるをえなかったのです。なるほど、いくつかの哲学理論や、偉大な思想家たちの命題や、他の諸国の実例が、われわれの行動を大いに鼓舞し、われわれの綱領を作成するうえでいくらか助けになっています。けれども、そうしたものは一つとして絶対的原理として受け入れてはいません。われわれは人民の渇望の正当性を信じています。なぜなら、われわれは、われわれの毎日のパンを供給する仕事で腰の曲った農民の側に立っているからです。その手でつくり出した富をわれわれに与えてくれる労働者たちの側に立っているからです。事務員たち、兵士たち、知識人たち、学生たち、自分の努力と犠牲によって生産した富を享受する不可譲の権利をもっているすべての人々の側に立っているからです。
 北アメリカの読者は、チリのことはほとんど知らないかもしれません。知っているとしても、それはおそらく、わが国が遠くて地理的に特異だということで、わが国が自由の伝統や革命的精神をもっていることではないでしょう。おそらく、特権的地位を維持しようとする諸グループがつくり上げた歪んだ像を通して知っているのです。一つの国の像を意識的に歪める人々がそうするのは、彼らが、人民諸階級の生活水準の向上を可能にする変革が差し迫った必要であることを認めるのではなくて、冷戦の遺産を利用して自分の利益を守ろうとしているからでしょう。
 私は若いときからずっと、偏見と時代遅れの政治機構を永遠に葬り去るために闘ってきました。私は運命の命ずるところにしたがって、この民主主義革命の先頭に立つことになりましたが、この闘争のなかでは、民主主義という言葉は、本質的に反民主主義的で反動的な政治態度を蔽い隠すためにむやみやたらと使われる場合に比べて、はるかにより広大な意味をもっています。私がこの責任を引き受けたのは、ためらうことなく社会正義と政治指導との目標を追求する、誇り高い、活力に満ちた、主権者である人民から、それを要請されたからです。チリ人民は、国の内部だけでなく外部からも困難な障害が待ち受けていることを知っています。利己主義に目のくらんだ国内・国外のわれわれの敵には、理解できないことですが、あるいは理解しようとする気さえないことですが、ひとたび革命が働く人々の積極的参加の産み出した強力な創造的神秘に染まれば、革命はもはや押しもどすことのできないものとなります。いかなる障害があろうとも、すべて乗り越えて行くでしょう。”
サルバドル・アジェンデ「サルバドル・アジェンデによる後記」レジス・ドブレ/代久二訳『銃なき革命・チリの道:アジェンデ大統領との論争的対話』風媒社、1973年3月5日第1刷発行、193-195頁より引用。
 

同志大統領サルバドール・アジェンデは45年前に死んだ。しかし、アジェンデが殉じた理想は、この世界にアジェンデが立ち向かった問題が問題として存在する限りは決して死ぬことはない。霊魂の不滅を信じなかった唯物論者であるアジェンデは、しかし今も生きている。その生涯を記憶する人間がこの世界に存在する限り、アジェンデは生き続ける。ピノチェトの銃弾でも、戦車の砲撃でも、戦闘機の爆撃でも、決して殺すことはできない。真に偉大な人格は、決して打ち破られることはないからだ。

 

チリ万歳!人民万歳!労働者万歳!同志大統領サルバドール・アジェンデ万歳!

*1:サルバドル・アジェンデ「サルバドル・アジェンデの最初の国会教書」レジス・ドブレ/代久二訳『銃なき革命・チリの道:アジェンデ大統領との論争的対話』風媒社、1973年3月5日第1刷発行、200頁より引用。

*2:中川文雄、松下洋、遅野井茂雄『ラテン・アメリカ現代史II:アンデス・ラプラタ地域』 山川出版社〈世界現代史34〉、東京、1985年1月15日1版1刷発行、230-231頁。