クリスマスを私に

“彼らは、クリスマスに喧嘩をするなんて恥ずかしいことだ、と言った。そのとおりだ! 本当に、そうなのである!”

ディケンズ/中川敏訳『クリスマス・キャロル集英社集英社文庫〉、2010年11月13日第15刷、93頁)

 

クリスマスが今年もやってくる

  いよいよ2016年も終わりが見えてきました。毎年この時期になるとあのビッグイベントが近づいてきます。そう、クリスマス!

 

 恋人いない歴=年齢の非モテなのにこのイベントは結構好きなのです。何が良いかと言うと何よりもまずこの時期に街が明るくなるのが良い。例年この時期に街からクリスマス向けの飾り付けがなければどんなに侘しい街並みになることか。加えてこの季節は私の好きな山下達郎が一年で一番メジャーな場面で流れます。タツローが何をした人かは知らなくても「クリスマス・イブ」のことは知っているという人は多いはず。

 

 ただ、キリスト教文化圏ではない(イエス・キリストの生誕を特別に祝う動機のない)日本で今日商業的に祝われるクリスマスは、恋人のいないワープアおじさんにとってやや居場所のないイベントであることもまた事実。というわけで、今回はそのお話をしましょう。

 

子供たちのクリスマスから、恋人たちのクリスマス

 クリスマスは原義的にはイエス・キリストの誕生日*1なので、もちろん明治以後に来日した外来の記念日です。丁髷結ったサムライが今日のようにクリスマスを祝ってる姿をイメージできる人は、まだ今は少ないでしょう(あと50年ぐらいしたら出てくるかも)。

 

 それなのにそもそもなんで今、日本でこんなにクリスマスが祝われてるのでしょう?釈迦牟尼世尊の誕生日である4月8日*2はクリスマスほど祝われないのになんでこんなに?

 

 この件について、堀井憲一郎氏が興味深い調査をしているので少し参照してみましょう。

 

“ 日本のクリスマスは、1983年に始まった。

 僕たちが子供のころ、1960年代はクリスマスは圧倒的に子供のものだった。クリスマスプレゼントをもらって、クリスマスケーキを食べて、クリスマスソングを歌って、それからお正月の準備を始める。

 おとなは正月のことで手いっぱいで、クリスマスまでかまっていられなかった。片手間で子供向けのクリスマスをやってくれただけだった。ひょっとしたら、日本のどこかではまだそういう「クリスマスは片手間」な地域が残ってるかもしれない。江戸時代の日本の香りを残してる地域。どこかにあって欲しいとおもう。”

堀井憲一郎『若者殺しの時代』講談社講談社現代新書1837〉、東京、2006年4月20日第一刷発行、38頁より引用)

 

 信じ難いことかもしれませんが、今日、日本で祝われているクリスマスの風景は実はつい最近始まった歴史の浅いものなのです。今回本稿を書くに当たって、怠惰ゆえに私は日本のクリスマス史を参照することはなかったのですが、恐らく1850年代の開国以後のキリスト教の解禁から堀井氏が幼かった頃の1960年代までおよそ100年かけて人々の間に「お正月の前にお祝いする欧米=キリスト教世界からやってきたイベント」として定着していたクリスマスは、日本クリスマス史を全て通しても、「子供向けの舶来のお祭り」だった時期の方が、たぶん圧倒的に今の「恋人たちのクリスマス」の期間よりも長いのではないか。

 

 ついでなので、まだクリスマスが子供の物だった1960年代から10年後の1970年代のクリスマスの光景も、堀井氏の記述を通して眺めてみましょう。

 

“ クリスマス・デートの記事は1970年代から始まっていた。

 

 1970年アンアン「2人だけのクリスマス」

 1972年アンアン「クリスマスに二人で行きたい店」

 1974年女性セブン「彼を獲得する今年最後のチャンス。クリスマスイブ愛の演出方法」

 1977年ヤングレディ「ふたりのためのイブの絵本」

 1977年ノンノ「クリスマスの贈り物、愛する人へ心を込めて」

 1979年ヤングレディ「二人きりの車内[カールーム]にキャンドルをともして……恋を語らう」

 

 男性誌も含めて、1970年代のいろんな雑誌をかたっぱしから探して、見つかったクリスマス記事はこの六つだった。十年間で六つしかないのだ。たぶん本当はもう少しあるだろうけど、僕にはこの六つしか見つけられなかった。男性誌には載ってなかった。見つけられなかった。いまだったら11月のある一日に出された雑誌だけで、この十年分のクリスマスの記事を越えてしまうとおもう。

 1970年代のクリスマス記事を読んでいると、世の中に、まだ恋人たちのクリスマスの場所が用意されていないことがわかる。まだそういう商売が出てきてないのだ。だから若い人たちは、自分で工夫して、ロマンチックな夜にするしかない。雑誌は、その創意工夫を提案してくれているのだ。いま読むと、想像しにくい風景だ。

 それはたとえばこういうことだ。

 7月14日はフランス革命記念日だ。これを祝って、フランス革命記念らしい飾りつけをして、フランス革命記念らしい食事を食べ、フランス革命記念らしいお祝いの品の交換をやろう、それも恋人同士でやろう、二人っきりでロマンチックにやろう、といま、僕がおもいついたとする。でも7月13日の夜にセンチュリーハイアットに行こうと六本木ヒルズに行こうと椿山荘に行こうと、どこに行こうとも、誰に[原文ママ]何もそんなお祝いセットは用意してくれていない。僕が自分で工夫して調達して演出して、祝うしかない。

 1970年代の〝恋人たちのクリスマス〝はそれと似たような状況だったのだ。”

堀井憲一郎『若者殺しの時代』講談社講談社現代新書1837〉、東京、2006年4月20日第一刷発行、43-44頁より引用)

 

 ひょっとしたら1970年代ならば、クリスマスよりもフランス革命記念日を祝う方が、『ベルサイユのばら』(池田理代子、1972年-1973年連載)で育った女学生がいた分、まだロマンチックに祝うことができたのかもしれませんが、それはさておき、当時週刊文春のライターであった堀井氏が70年代の雑誌記事を総当たりして6本しかクリスマス記事を発見できなかったという事実は、70年代はまだクリスマスが「恋人たちのクリスマス」にはなっていなかったことの証左でしょう。

 

 堀井氏によれば、子供が親からプレゼントを貰う日であり、正月よりも優先順位の低かったそれまでのクリスマスが、現在我々の良く知るクリスマスへと変わる転換点になるのは1983年12月の『an・an』の「クリスマス特集 今夜こそ彼の心[ハート]をつかまえる!」であるとのことです。それについては本稿では割愛します。詳しくは引用元の『若者殺しの時代』を読んでほしいのですが、「恋人たちのクリスマス」は要するにバブル経済の産物だということ書かれてるので興味のある方は是非ご一読下さいませ。因みにこの恋人たちのクリスマス=1983年12月誕生説を採用すると、1980年10月の時点で「恋人はサンタクロース」を録音していたユーミンは時代を三年先取ってたことになります。やっぱりユーミンは凄いなあ。冒頭で少し触れた山下達郎の「クリスマス・イブ」がシングルカットされたのは1983年12月14日なのでタツローは時流にピッタリだったようです。

 

 クリスマスを私に

 さて、以上、「恋人たちのクリスマス」の成り立ちについて述べてきました。80年代に生まれた恋人たちのクリスマスは、私の如き恋人のいないワープアおじさんにとって地味に過ごしづらい(自分が世の中の非主流派であることを意識させられるため)イベントであることは事実なのですが、冒頭で述べたように結構好きなイベントではあります。私がクリスマスを楽しむ方法はないものか。

 

 19世紀イギリスの文豪、ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』(1843年)の中でのクリスマスは、自分を振り返り善きキリスト教徒としての道徳性を取り戻す日とされていました。これなどは「恋人たちのクリスマス」に対抗し得る本来のクリスマスの在り方のように思えますが、残念ながら私はキリスト教徒ではなかった。キリスト教徒でない者が、キリスト教徒に相応しい道徳を生きているかを自問自答するのは難しいのでこれは却下。佛教徒がディケンズの小説のような体験をしたいのならば、世尊の誕生日の4月8日にやるべきなのでしょう。きっと。

 

 それならばいっそ、異教の祭りをやめてしまえ!と仰る向き*3もあるかもしれませんが、私はこのイベント自体は結構好きなのでこれも却下。大体これだけ定着してしまったイベントを強権で廃止するとなれば、その混乱が巨大になるのは目に見えます。

 

 となると自分で楽しみ方を考える他ありませんが、どうにもこれが思い浮かびません。私の今年のクリスマスの予定はまだありませんが、私や私と同様の人々が、社会の主流派を僻むことも妬むこともなく、尊厳を持って過ごせるようなクリスマスの過ごし方をできればいいと思ってます。私のように、恋人はいないし友人もほとんどいない。社会的にも孤立している。キリスト教徒ではなく今後キリスト教徒になる予定もないけれども、このイベントが結構好きで、かつ、「恋人たちのクリスマス」から排除されてしまう人々にも楽しめるクリスマス文化がこれからできて欲しいと切に願っています。

 

 としんみり落とすのも寂しいですし、折角なので大瀧詠一の「クリスマス音頭」でも踊りましょか♪あ、ソレ♪

 


大滝詠一「クリスマス音頭」

 

 

 

若者殺しの時代 (講談社現代新書)

若者殺しの時代 (講談社現代新書)

 

 

 

クリスマス・キャロル (集英社文庫)

クリスマス・キャロル (集英社文庫)

 

 

*1:乱暴にまとめた上に本当に12月25日なのかについても異説がありますが、立ち入ると面倒なので今回は割愛。

*2:同上。

*3:本城靖久氏の著書『セネガルのお雇日本人』(中公文庫、1983年)には、人口の9割以上がイスラーム教徒の西アフリカのセネガル共和国でも、クリスマスにはデパートでプレゼントを選ぶ習慣が根付きはじめており、著者の友人でイスラーム教徒である内務省の役人がその風潮をけしからんと嘆いている様子が描かれています(184-186頁)。クリスマスは本来の文脈だったキリスト教の祝祭日であることから切り離されて、資本主義の発達と並走して世界のどこであっても体験されるグローバルな文化と化しており、それゆえに世界のどこででも反対されるイベントになっているのかもしれません。